まるまるだいの”メモ日記”

精神障がい、介護、趣味(素人ガンプラ成長日記、DIY、クッキング)

【まとめ】2チャンネルの本当に泣ける話をまとめてみた。泣きたい時に見てください!

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みなさんこんにちわ!

まるまるだいです!

今日はいつもと違ってジーンと来る話や、泣ける話をまとめてみたした。

もうティッシュなくして見れないものばかりを厳選!

少し自分にあてはめてしまったり、親のことをおもったりしちゃって下さい!

私も、亡き母親のことを思い出してしまいました。

泣ける話その①

私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、 
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えないほど質素で見映えの悪い物ばかりだった。 
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。 
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。 
私は生返事でそのまま学校へ行き、こっそり中身を確認した。 
すると確かに海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、 
とても食べられなかった。 
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。 
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので 
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。 
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。 

それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。 
母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。 
中を見ると弁当のことばかり書いていた。 
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。 
後悔で涙がこぼれた。

泣ける話その②

12年前に死んだおじぃの部屋から、 
当時小学6年だった私と一緒に折った紙飛行機が見つかった。 
「懐かしい」なんて手に取ったら 
紙が茶けててボロボロ、破れた隙間から何か文字が見えた。 
広げて見ると、おじぃが当時の私に書いたものだった。 

「かなこや、おまえはかわいい 
わ(わ→私)のたからじゃき だいじに だいじに 
おおきゅうなるまっで じいちゃが だいじにしたるきな 
じいちゃは かなこがだいすきじゃ 
おまんが じいちゃのこと いらんゆうとも 
さみしいけんど じいちゃは かなこがだいすきじゃきな 
あんま きらわんとってな かなこが・・・(ここから先読めない)」 

当時の私はおじぃが好きになれなくて平気でおじぃの前で「いらん」「死ね」って言ってた。 
こんなに愛されていたなんて、こんなに大切にされていたなんて 
全然知らなかった。 ごめんなおじぃ・・・。

泣ける話その③

大学が決まり一人暮らしの前日の日 
親父が時計をくれた。 
金ピカの趣味の悪そうな時計だった。 
「金に困ったら質に入れろ、多少金にはなるだろうから」 
そういってた。 

二年生のある日、ギャンブルにハマリ家賃が払えなくなった。途方にくれていた時。 
ハッと気がつき、親父の時計を質にもって行った。 紛れもない偽者であることが判明した。 
すぐに親父電話した。 

俺「おい!偽者子供につかませんなよ!」 
親父「なっあてになんねーだろ人のゆうことなんざ。困った時にこそ裏切られるんだよ。最後の頼みの綱になー。がはははは!これが俺の教育だよ。」 
親父「でいくら必要なんだ?金に困ったんだろ?」 
俺「・・・・あきれるわ。十二万貸してください・・・」 
親父「明日振り込むから、何があったかは聞かない。 
   金がない理由は親にいえない事が多いわな!」 
親父「がはははは!女にでもはまったか?このバカ息子が!!ははは!!」 

正直心底むかついたが、親父の声は俺を安心させてくれた。 今思うと、小さい会社だが経営者らしい教育だったのかなと思う。 
そんな親父も去年の夏、ガンで死んだ。 
往年の面影も消え、ガリガリになった親父が また時計をくれた。まだ箱に入った買ったばかりの時計だった。必死で笑顔を作りながらいった。 

親父「金に・・困ったら質にでも・・・入れろや・・!」 

オメガのシーマスターだった。くしくもその日は俺の誕生日だった。 

俺「親父の時計はあてになんねーから質には入れないよ。」 
二人で笑った三日後、親父は死んだ・・・ 
親父が死んだ今も、金ピカの時計はメッキもはげたがまだ時を刻んでいる。

泣ける話その④

俺には今年で80になるばあちゃんが居るんだが   
もう長い間認知症で自分の名前も分からないし   
言ってる事も支離滅裂だったもんでばあちゃんが何を言ってるかなんて俺も家族も全然気にしてなかったんだが、   
ある晩自分の部屋ですいませんすいませんって誰かに謝ってる声が聞こえて(もちろん一人で)   
いつもより妙にはっきり喋ってるからそのまま聞いてたら   
    
すいませんね、すいませんね、ちゃんと謝らせますから   
○○(俺)はホントは優しい子なんですよ…   
    
って言ってた   
    
俺が昔、友達に石ぶつけて怪我させて   
ばあちゃんが先生に謝ってる時の事をフラッシュバックしてるらしい   
なんか立ち聞きしながら泣いてしまった   
    
今日はデイサービスで居ないが   
帰ってきたら優しくしようと思う   
俺の事は新聞屋(か郵便屋?w)と思ってるらしいが   
そんなの関係ないぜw俺のばあちゃんに違いはないからな。

泣ける話その⑤

なんか機械音痴の母がデジカメを買った。 
どうやら嬉しいらしく、はしゃぎながらいろいろと写してた。 
何日かしてメモリがいっぱいで写せないらしく 
「どうすればいいの?」って聞いてきたが 
「忙しいから説明書読め!」とつい怒鳴ってしまった。 
さらに「つまらないものばかり写してるからだろ!」とも言ってしまった。 
そしたら「・・・ごめんね」と一言。 

そんな母が先日亡くなった。 
遺品整理してたらデジカメが出てきて、何撮ってたのかなあと中身を見たら 
俺の寝顔が写ってた・・・。 

涙が止まらなかった。

泣ける話その⑥

社会人になって初めて迎えた母さんの誕生日。 
「いつもありがとう」ってプレゼントを渡したかった。 

でも照れくさいし、もし選んだプレゼントが気に入ってもらえないと怖かった。 
だから「選ぶのめんどいから」って嘘ついてデパートに連れて行って、 
「何でもいいから適当に買えよ」とぶっきらぼうに言うと、 
「高いエプロンだけどいい?」とおずおずと見せに来て、値札見たらたった3000円。 
「こんな安物かよ」とひったくって後ろ向いて、泣きそうな顔を見られないようにレジに走った。 

服でもバックでも、ほかに何でもあるだろ、財布の中に給料全部入れてきたんだぞ!って涙が出たけど、 
トイレで急いで顔洗って、そ知らぬ顔で袋を渡した。 
そしたら、母さんがうれしそうにそれを抱きしめたのを見て、また泣きそうになった。 

いまでも帰るたびにそのエプロンつけて飯作ってくれて、ありがとう。ほんと美味いよ。世界一だ。 
いつも素直になれなくてごめん。 
マザコンでもいいよ、母さん大好きだ。

泣ける話その⑦

唐突に母親はガンの宣告をされた。
ガンはステージ4。
もうほぼ、手遅れだった。

小さい頃から母親が死ぬ夢とか、たくさん見てきた。
その度に、やっぱり母親は死ぬわけがないって思っていた。

今回も、手遅れと言われたものの。
母親が死ぬなんてこれっぽっちも思っていなかった。いや…思いたくもなかった。

お母さんは死ぬ訳ない!

絶対に助かる!

今までもそうだったから…

一時的に退院はできたものの。やはり母親はガンを宣告されてから一年も経たないうちに死んだ。

父親、姉、私にみとられながら。

ずっと苦しい思いをさせてたのかもしれない。けれど…私たち家族は全員、最後の最後まで母親の病気が治ると信じて頑張った。

もう、お母さんの料理が食べられない。

あの時、『こんなのいらない』って言葉を吐き捨てたこと。

ご飯を作ってくれたのに『今日はもういらない』と言ったこと。

なんで、あの時ご飯を食べなかったんだろ…

どうやっても、お母さんの味が出せない。
味噌汁、卵焼き、茶碗蒸し。
どうやっても出せないんだよ…

あの時に戻れるなら食べておけばよかった。

お母さんごめんね。
親孝行もなにもできなくてごめんね。

父親から聞いた母親の最後の言葉は『○○ちゃんのことは本当に心配やから任せたよ!』

ごめんね…いつも心配かけてしまって。

でも、安心してね。

今は、お母さんのお味噌汁の味が作れる彼女ができたんだよ。

まだまだ荒削りな子だけど、お母さんとよく似てていつも私のこと気づかってくれる。

だから、お母さん安心してね。

まとめ

いかがだったでしょうか?

泣けましたか?

実は、家族をテーマに泣ける話をまとめてみたした。

家族って本当に大事です。

近くにいればいるほど、大切なことを忘れてしまいがちです…

明日でも、今日でも家族に一言連絡してみてはいかがですか?